盆栽の説明について、思いついたことを書いています。
なぜ、盆栽について説明する必要があるかというと、明日取材していただくのです。頭が真っ白にならないように、質問と答えを想像してみました。
盆栽と他の木との違いはなんでしょうか?/盆栽はどんなところが面白いのでしょうか?
盆栽の木も他の庭木や街路樹と同じ木です。
形にしやすいよう葉や花が小さめのものを選んでいますが、街路樹から落ちた種を撒いて盆栽に仕立てることもできます。
ただ、盆栽は、樹そのものを個体として見ています。盆栽を持っている人は、まるで、こどもやペットのように「この子」と呼ぶほど、それぞれ個々に愛情をもって世話をしています。
街路樹など森や木々を、私たちは集団というか、全体で認識していると思います。
“イチョウ並木”など樹種だけで識別したり、日陰や壁になるようにと用途でみていたり。
でも、例えば御神木など、とても年数を経たものは、個体としてみるようになりますよね。
そして、「雷で折れた枝」とか「誰々が植えた楠」など、樹のストーリーが伴い、さらに個としての存在が強化されます。
盆栽も、最初は種や枝の挿木からスタートしますので、最初の個性はそんなにありません。でも、持ち主が手入れをしていくにつれて、それぞれの木に個性が生まれ、さらに年数を経るごとに持ち主との間にストーリーが生まれます。
例えば「ちょっと油断して水切れしちゃったんだけど、この子復活してくれた!」とか、「台風で飛ばされて大事な枝を折っちゃったんだよ。」とか、「この樹、良くなったな〜」とか。
そうした、ストーリーがあるので、思い入れが深まり、「この子」と呼ぶほど、それぞれの樹をかわいがって育てているのです。
盆栽として育てている樹を、庭に植えてしまえば、普通の庭木のように大きくなり、庭を彩る木々の一つになります。世話をする頻度は減り、その樹とのストーリーも減っていくかもしれません。
面倒な「お世話」があるからこそ、盆栽の樹は、盆栽であり得るのかなと思っています。
思い入れがあるからこそ、共に生きるように、そばに置きたくなるのです。
面白さは、樹を増やしたり作っていくなど、技術面での面白さがあります。作るうちに木の特性を知り、樹が何をして欲しいかが分かるかのように水やりや肥料、剪定など手入れを行うようになります。樹種によっては、管理が難しいもの、形づくりが難しいものなど様々あります。そうしたものもきれいに作れれば、他の愛好家から尊敬されます。
また、手入れの頻度ややり方でその人自身の個性も投影されるのも面白いです。野性味ある樹、大らかな樹、几帳面な樹、品のある樹。「この樹はあの人が作ったのかな」と分かるようになります。
「樹と向き合う時間を持つ」ということが、盆栽の面白さというか、盆栽は豊かな趣味と言われるところのような気がするのですが、今日はこの辺で。おやすみなさい。